やあやあサイ象です。 Sponsored Links 今回はマーティン?スコセッシ監(jiān)督の ハリウッド映畫(窪塚洋介、淺野忠信 ら出演)が制作中と伝えられる 遠藤周作の名作『沈黙』(1966)に挑戦! さて、一口に「あらすじ」を、といっても、 話の骨子だけでいいという場合から、 読書感想文を書くんだから 分析?解説つきの詳しいものがほしい、 という場合まで、千差萬別でしょう。 そこで出血大サービス((((((??⊿?)? 「ごく簡単なあらすじ」と 「やや詳しいあらすじ」の 2ヴァージョンを用意しましたよ~~(^^)у ごく簡単なあらすじ(要約)まずはぎゅっと要約した「ごく簡単なあらすじ」。 イエズス會の高名な神學(xué)者フェレイラ が日本で棄教したとの報せがローマに 屆き、弟子の司祭、ロドリゴは 同僚ガルペとともに、その真?zhèn)韦?br>知るべく日本に布教に向かう。 寄港したマカオで出會った日本人、 キチジローの案內(nèi)で五島列島の 隠れ切支丹の村に潛入する。 村人が奉行所で踏絵を踏まされ、 さらに唾を掛けろと言われるが、 モキチとイチゾウはこれを拒否して 殉教し、従ったキチジローは 釈放される。 ロドリゴはガルベと別の舟で村を 逃れるが、やがてキチジローに 売られる形で捕まる。 長崎奉行所で再會したフェレイラ から、彼のこれまでの経緯と、 自分が転ばなければ信者たちの 拷問も終わらないことを聞かされ、 ロドリゴは悩んだ末、踏絵を踏む。 今後は江戸の邸に住み、日本名を 名乗り、日本妻もめとって 暮らすようにいわれる。 どうでしょう? え? なんだかよくわからん? まあ、そうかもしれません。 それに、仮にも感想文を書くとなれば、 やはり文章がないとお話になりませんよね。 ハイ、そういうわけで、やっぱり 「やや詳しい」ヴァージョンの 「あらすじ」を読んでいただくほかない、 ということになります。 この作品、「まえがき」と末尾の 「切支丹屋敷役人日記」の間に Ⅰ~Ⅹの全10章が置かれる形に なっていますが、Ⅰ~Ⅳは 「セバスチァン?ロドリゴの書簡」、 Ⅴ~Ⅹは三人稱の客観小説の形で 敘述されます。 以下の「やや詳しいあらすじ」では わかりやすさをおもんぱかって、 これらを「起?承?転?結(jié)」の4部に 割り振っています。 「 」內(nèi)と「”」の囲みは 原文の引用です。 やや詳しいあらすじ【起】(まえがき、Ⅰ~Ⅱ) 島原の亂が収束して間もないころ、 イエズス會の高名な神學(xué)者である クリストヴァン?フェレイラが、 布教に赴いた日本での苛酷な弾圧に 屈して、棄教したという報せが ローマにもたらされた。 フェレイラの弟子である「私」こと ポルトガル人司祭のセバスチャン? ロドリゴとフランシス?ガルペは 布教目的の日本潛入に向け出航する が、恩師の棄教の真否を確かめる という副次的な意図ももっていた。 寄港したマカオで酒に溺れる 「卑怯な弱蟲」の日本人、 キチジローと知り合う。 五島列島に到著し、キチジローの 案內(nèi)で隠れ切支丹(キリスト教徒) の里、トモギ村に迎え入れられる。 【承】(Ⅲ~Ⅳ) 村人の話から、キチジローが 「一度ころんだ切支丹」と知れる。 すなわち8年前、密告され取り調(diào)べを 受けて、踏絵(キリストの顔を描いた 聖畫)を踏むように言われたとき、 兄妹は拒絶して殉教したのに、 自分だけ直ちに踏んで(棄教して) 生き延びた男だと。 村人のモキチ、イチゾウとキチジロー が奉行所へ出頭することとなり、 踏絵を踏まされそうだというので、 私は「踏んでもいい」と言う。 彼らが奉行所でそれを踏むと、次には 「この踏絵に唾をかけ、聖母は淫売だ」 と言ってみよと命じられる。 キチジローだけがこれに従って 釈放され、モキチとイチゾウは水磔 (すいたく)で殉教。 「萬一神がいなかったならば〔中略〕 何という滑稽なことだ」という 「不快な想念」に私は襲われる。
Sponsored Links 【転】(Ⅴ~Ⅷ) 連行されるロドリゴの行列を、 泣きながら必死で追いかける キチジロー。 長崎奉行所でロドリゴは棄教した師の フェレイラと出會い、さらにかつては 自身も信者であり棄教したという 長崎奉行、井上筑後守と対話する。 キリスト教は 日本には根づかない、「土の違い、 水の違い」があるからだという井上の 指摘に対し、ロドリゴは「正」は あくまで「普遍」だと主張することで、 心理的に「自分を英雄にして」いく。 入れられた牢屋の窓にキチジローが 來て、自分はモキチやイチゾウの ように「強うなれまっせん」などと 言い分を叫ぶが、「悪人の強さや 美しさ」さえないキチジローを蔑む ロドリゴは、「け」と呟くのみ。 神の栄光に満ちた殉教を思念する 獄中のロドリゴのもとに、夜半、 フェレイラが來て、棄教を勧める。 これを拒絶するロドリゴは、遠く から響く鼾(いびき)のような音を 止めてくれないかと叫ぶ。 フェレイラはその聲が鼾ではなく、 拷問を受ける信者のうめき聲である こと、彼ら自身はすでに棄教を 誓っていながら、ロドリゴが棄教 しない限りは許されない狀況に あることを告げる。 また自分の棄教も、井上筑後守の この狡知に攻め落とされた 結(jié)果だとという。 お前があくまで信仰を守ろうと するのは「彼等より自分が大事」で 「このわしのように教會の汚點と なるのが怖ろしいからだ」と責(zé)め、 こう言い放つ。 「たしかに基督は、彼等のために、 転んだだろう」 奉行所の中庭で、フェレイラに 勵まされ踏絵に足をかけたロドリゴは 「足に鈍い重い痛み」を感じる。
どう書く? 感想文さあ、どうでしょう。書けそうですか? 読書感想文。 「日本における(日本人にとっての) キリスト教」という非常に重い主題を 追及した遠藤周作のライフワークとも いえる、たいへん重要な作品ですね。 信仰の対象を足裏で踏みつけたり、 「淫売だ」と唾を吐きかけたり させられる狀況について、もし自分なら…… とその狀況に身を置いて考えてみる、 というのがまずは感想文の王道でしょう。 でも、実際に信仰をもっていなければ、 そんなこと考えろといわれても、 本気ではできないかもしれませんね。 それなら、むしろ上記【転】の部分で ロドリゴと論爭する井上筑後守の側(cè)に 立って、(日本における)キリスト教の 限界を指摘してみてはどうでしょう。 実際それは、 新井白石とシドッチの議論などの形で 文獻が殘されているのですから、 付き合わせて考えてみたら、とても 高度な感想文ないしレポート、あるいは 大學(xué)なみの論文ができてしまうでしょう。 そういえば、2014年NHK大河ドラマの 主人公、黒田官兵衛(wèi)(孝高)も 切支丹に入信しましたね。 でも官兵衛(wèi)ほど頭の切れる男ならば、 キリスト教の不合理な教義にそう たやすく納得するはずはありません。 そこには多分、井上筑後守や新井白石の 場合に似た論爭もあったと思われる のですが、殘念ながらドラマでは そこは描かれませんでした。 この問題に関しては、こちらの キリスト教への懐疑というところへ 視野を広げるなら、ドストエフスキー などと付き合わせてみるのも 面白いかもしれません。 ドストエフスキーをめぐっては、 ん? 書けそうなテーマは 浮かんできたけど、具體的に どう進めていいかわからない( ̄ヘ ̄)? そういう人は、「感想文の書き方 《虎の巻》」を開陳している記事の どれかを見てくださいね。 當(dāng)ブログでは、日本と世界の ともかく頑張ってやりぬきましょー~~(^O^)/ Sponsored Links
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